ロンドン隠れミュージアムとして、当サイトでご案内しているこのミュージアム(博物館)は、1700年代後半から、1830年代まで生きた建築家の自宅です。
先日、広島からご来英のお客さまをここにお連れしました。
1軒の自宅を時代とともに両サイドのお家を購入改築し、3軒のお家を一つにし、奥には自分独自の博物館を作ってしまった建築家の自宅ですが、建築家として自分の稼業を継がなかった2人の息子に激怒し、この莫大な遺産を一切相続させず、国に寄付してしまった経緯が、1700年―1800年代のお家を現在の私たちがそのまま見れる、貴重な美術館になっています。
当時、建築を教えていた学生や画家を雇用し、その在庫確認のための証明に使えるよう各部屋の入念なスケッチを取らせたものが見れ、描かれたまま当時とまったく変わっていない様子が伺えます。
この建築家は、労働者階級である煉瓦積みの息子として生まれたものの、その才能を見出され、ロイヤルアカデミー、そして当時のキング直接の奨学金で、イタリアで2年間勉強する幸運をもたらされ、彼の自宅のいたるところには、イタリアの影響が見られます。
労働者階級に生まれたバックグラントを持つことが、生涯彼を付きまとい、コンプレックスとなり怒りっぽい性格の原因といわれ、息子に遺産を与えなかった背景が納得できます。
古代ギリシャのパルテノン神殿や、古代エジプト、火災に遭い崩壊したウェストミンスター寺院など、現代ではありえない、歴史的な貴重な古代遺跡が収集され、持ち去られたとも言われているものもここで見れます。(彼はオークションで買ったらしいですが。)
また、ターナーの友人だった彼は、ピクチャールームといわれる部屋で彼が所有したターナーの絵の3枚の1枚が、ここで見れます。
このピクチャールーム、狭い限られた部屋を最大限利用し、2面の壁全体が開く仕掛けになっています。(1面は2重に!)
彼のデザインはドーム式の天井が、とても重要とされ、至る所にこのドームの天井が見れます。このピクチャールームの天井、ブレックファストルームと呼ばれる天井、そのまま「ドーム」と名づけられた吹き抜けの天井に、至る所に自然光を同時に取り入れた空間がみれます。
ライブラリーから見たダイニングルーム。ポンペイレッドがたくさん使われています。
パーラーと呼ばれる地下の部屋には、ファラオ、ラムセス2世の父親であったセティ1世のBC1300年の石棺があります。この巨大な石棺を家に入れるいわれも、尋常ではないです。
200年以上にもなる古い民家のため、1日に70人しか入れず、玄関で入場制限しているので、行列ができることも。
(※現在は、写真の撮影は禁止なっており、禁止以前に撮影されたと思われる写真をFlickerにてお借りしました。)