ケンジントン宮殿まえに立つ、ビクトリア女王の彫刻。
18歳の若さで1837年に女王の地位に着いたビクトリア女王。
ケンジントン宮殿で生まれた彼女、戴冠後、即バッキンガム宮殿に移った彼女、はじめて政府要人を集めてのスピーチに、「全然緊張しなかったわ。」という言葉通り、彼女の自身たっぷりな対応は、その要人からも賞賛の声が上がったそう。
この彫刻、ビクトリア女王のたくさんの子供たち(9人?11人?)のひとり、プリンセス・ルイーズによって、女王の戴冠50周年を記念して彫刻されました。
1800年代当時、女性はお家で刺繍を刺すことが理想とされていた時代、女性が彫刻をすること、まして王女がそれをすることなど考えもされなかった時代でした。
プリンセス・ルイーズ、やる~。
【小さい冠の理由】
ちなみに、この彫刻では、ビクトリア女王、大きな通常サイズの王冠をかぶっていますが、彼女の写真には、よく小さな半分のサイズの王冠をかぶっている姿がよく見られます。
それは、偏頭痛持ちだった女王は、特注で小さく作った冠をかぶっていたそうです。
【アルバート公の突然の死】
ドイツ人のアルバート公と結婚したビクトリア女王、たくさんの子宝に恵まれ、アルバート公のアイデアで開催された大博覧会は大成功を収め、その収益金でV&A美術館が作られました。
仲の良い二人は協力して、国に貢献するたくさんの功績を残したものの、1861年12月14日、42歳の若さで急死したアルバート公の死のショックは大きく、女王は、その後生涯、喪服の黒いドレスしか着ませんでした。
【150年後の死因解明】
アルバート公の死の原因は、不明とされながらも、150年間、感染症の腸チフスと考えられていましたが、歴史家ヘレン・パラポートの3年の研究により、死因は現代病のクローン病(腸の慢性炎症性疾患、原因不明、下痢、発熱、体重減少、腸閉そくを起こす。アメリカの医師クローン氏のより初めて記載)だったそう。