ゼウスとよばれたビクトリア時代の画家、フレデリック・レイトン博物館

Lord Frederick Leighton

1830年―1896年没。

 

彼の絵は、ビクトリア女王が絶賛したと言われ、画家にして最初で最後のLord(男爵の称号)が与えられ、しかしそれも1日間だけで、この世を去っているという画家、彫刻家であったフレデリック・レイトン。

 

彼の生家だった美術館に行くとわかるけれど、その生涯ひとり身だったという彼の家は、屋内に噴水が着く、天井15mあると思われる絢爛豪華なアラブホールがある、とても生活感があるとは思えない豪邸。

 

この家の持ち主は、謎に包まれている。一晩だけ泊まる男性ゲスト、赤子を連れたコックニー下町のモデルの関係は、唯一この家に住んだバトラー執事だけが知っている。

 

この下町のモデルの一人には、彼は話し方の教育を施し、これはゆくゆく、「マイフェアレディ」のストーリーの原型になったとも言われている。

 

1896年、彼が亡くなった後、2人の姉妹は彼の数千枚ものデッサン、絵画をすべてオークションで売ってしまい、残念ながらそれは残っていない。しかし、この煌びやかな豪邸は、小さく質素な一つのベッドルームしかなかったため売れなく、幸いにして現在のカウンシル(市役所) Chelsea & Kensingtonの所有になり、美術館になった。今の私たちが、当時のままのお家を見れる幸運な理由となっている。

 

2010年4月、1.6ミリオンポンドという金額をかけて修復工事がなされ、美術館が再オープン。それには、噴水の上の天井の22金張りのドーム(これはすごい、一見の価値あり)、1000枚の18世紀のシリア・ダマスカスの壁に貼られたタイル、スタジオのビクトリアン・アートも含まれている。

 

現場では気が付かなかった、裏口からつながる細い階段は、正面の通りから人目に着かず直接、モデルやゲストを画家のスタジオに直接出入りができたらしい。

彼の作品で有名な「燃え盛る6月」、彼が好んだモデルのひとり。スタジオでその描かれた場所が今でも見れる。 
彼の作品で有名な「燃え盛る6月」、彼が好んだモデルのひとり。スタジオでその描かれた場所が今でも見れる。 

 

レイトンの伝記作家であり、この博物館のメンバーのリーダーであるリチャード・オーモンド氏も、彼の私生活の事はなにも見つけられていない。しかし、彼の2人の姉妹が彼の死後、長年にわたり、モデルの一人リリー・メイソンと彼女の息子を愛情をこめて連絡を取り続けたことがわかっている。その息子の名前は、Frederick-フレデリックであった。

また、レイトンの銀行口座から「メイソン」の名の宛てに巨額の金額は数年にわたって支払われ、この少年フレデリックは、伝記作家が想像を超えるほど高学歴の教育を受けていることもわかっている。

 

また、ホランド・パークにあるこの家は、建築家ジョージ・エイチソン(George Aichison)によりデザインされ、素敵な図書室、美しい居間、ダイニングルーム、2階に続く階段の部屋と、グリーンのシルクで覆われたピクチャーギャラリールーム、そして巨大な制作活動に使われたスタジオがある。ここはしばしば音楽を奏でたコンサートに利用された。

 

彼に仕えた執事以外、レイトンとこの家に住んだ者はいない。しかし、唯一、一夜を宿泊した彼の親友、イタリア人風景画家であったジョヴァンニ・コスタだけが、彼の部屋をシェアしたと言われている。

 

修復後、再オープンには、出来るだけ生前に近い状態に復元されたと言われている。その中には当時彼が所有していたドラクロワなどのイタリア有名画家の複数の絵が、現在の所有者の好意で戻され、貸し出されているものが見れる。

 

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