幕末の長州ファイブ、ロンドン大学で発見!

皆さん、Choshu Fiveと呼ばれる長州五傑の事をご存じだろうか?

 

日本では聞いたことなかったこのチョーシュウ・ファイブという名前も(いかに日本の歴史に疎いかばれてしまう)、イギリスでは何度となく耳にしていた。

 

先日、美術館を探してロンドン大学の校舎内に入ったとき、偶然その校舎内にこのボード(下方)を発見。

 

あの教科書で知っている人たちが、この校舎に来たことを知り、まじまじと感慨深い思いをした。 

 

そう、あの千円札で知っている伊藤博文ふくむ。


このギリシャ調の柱を持つ豪華な建物が、ロンドン大学(UCL)ブルームズベリー校舎の正門。

 

建物の中の庭に面した大きな廊下ともホールともいえる壁にこのボードを見つけた。

 

詳細の彼らの活動は日本語で調べてもらうとして、このボードには以下のように記されている。

 

ロンドンカレッジ大学(UCL)と近代日本の開拓者たち

UCL and the Pioneers of Modern Japan

1863年から1865年、ロンドン大学で学んだ日本の若者たちがいた。彼らはこのロンドン大学で学んだ初めての日本人だったばかりでなく、日本の国外で初めて学んだ人たちだった。その後、UCLで学んだ彼らは、近代日本の歴史を築く、重大な役目を果たすことになる。

"Choshu Five" by 不明 - http://www.city.hagi.yamaguchi.jp/hagihaku/event/choshu5/english.htm. Licensed under パブリック・ドメイン via ウィキメディア・コモンズ - http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Choshu_Five.jpg#mediaviewer/File:Choshu_Five.jpg
"Choshu Five" by 不明 - http://www.city.hagi.yamaguchi.jp/hagihaku/event/choshu5/english.htm. Licensed under パブリック・ドメイン via ウィキメディア・コモンズ - http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Choshu_Five.jpg#mediaviewer/File:Choshu_Five.jpg

The Choshu 5

 

当時の日本人は、英国軍が持つような大きな船(Ships)や大砲(Guns)を見たことがなく、それについて学ぶことに多大な興味をもった。

香港に拠点を置く仲介者を通じて、商人海軍(The Merchant Navy)の船でイングランドに密航した。この5人のメンバーが長州五傑だった。

 

遠藤謹助(上段左)、

野村弥吉(上段中央)、

伊藤俊輔(=博文)(上段右)、

井上聞多(下段左)、

山尾庸三(下段右)


校舎横の庭に建つ、石碑にほられる俳句

 

~はるばると こころつどいて はなさかる~

When distant minds come together, cherries blossom 

(「べつべつの違った考えが一つにまとまれば、桜が開花する」と私流)


通りに続く、構内の美しいアーチ。
通りに続く、構内の美しいアーチ。

A radical university 急進的な大学

 

この当時、ロンドン大学は、イギリスでは唯一、人種、宗教、社会的地位を問わず生徒を受け入れていた革新的な大学だった。よって、国内でも日本人の学生を唯一受け入れた大学であった。

 

ウィリアムソン教授は、鉄道技術、造船業や測量を学べる工業の町の見学をアレンジした。 この若き学生たちはこの英国の工業の知識を、後の自国の発展に応用した。

Leaders to a new Japan 

新しい日本のリーダー

 

日本に帰国した彼らは、その後、幕府と入れ替わる新しい明治政府の建立という、決定的な役目を果たし、日本を近代的な国へと変換させた。

 

伊藤博文は、初代の総理大臣に就任し、その後4期を務めた。

 

Yozo Yamao(山尾ようぞう)は、「工業」庁の長官になり、芸術学校や、ろうあ学校を作った。

 

Arinori Moriは、教育省の長官、Kinsuke Endo(遠藤謹助)は大阪造幣局を作り、その他のメンバーは、国内の博物館、鉄道、海軍の設立に大きく寄与した。

 

校舎内のボードにも書かれていたが、鎖国時代の日本では、国外に出ることは違法で死を意味していた。

 

メンバーの中の井上は、密航という犯禁の罪が養家先に及ぶことを恐れ、志道家を離別している。

 

長州藩(現在の山口県)からの使命があったとしても、自分の命を張ってでも「開国」して日本国を変えたその武士たちの決死の心意気を考えると、感心して止まない。(坂本竜馬の時代だよね。)

 

Wikipediaにある、香港の仲介者との面談で、なぜイギリスに行きたいかの質問に、「ネイビー(海軍)」を研究したいと言いたいところを、「ナビゲーション(航海術)」を勉強したいと間違って言ったことから、水平同等のひどい扱いを受け、困苦したというエピソードに苦笑いした。自国語でない世界に入るとよくあること。彼らはどれくらいの英語で、その2年間の「研究」をすることができたのだろう。

 

自国へ返り、決死の思いで新しいニッポンを作り上げた彼らの心意気を考えると、身が震える。

 

なお、ロンドン大学の校舎内を移動するときに通った、この美しい木製のらせん階段に魅了された。このカーブを正確に、しかも木製で表現しているその技術に感心させられた。1800年代後半? 1920年? イギリスは至る所に残る古い建築が美しい。

 追記ですが、この5人のお話は、2006年に映画「長州ファイブ」になっているそう。ご興味がある方は探してみて。

 

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