先週末ヘイスティングスへ行ってきました。
そうです、あの教科書で習ったヘイスティングスの戦いの地です。
ヘイスティングスはどこにあるかというと、ロンドンから電車で1時間半、南の沿岸沿いの町です。
(以下マップ)
South Easternトレインで行くとヘイスティングスの2つ手前の駅のBattle(バトル)という駅が、そのヘイスティングス戦いの地です。
駅から徒歩5分のところにEnglish Heritage保護のこの地があります。
Battle駅に着くと小さな模型を発見!
「ヘイスティングスの戦い」を簡単に歴史を説明すると、年老いたエドワード懺悔王が亡くなると、世継ぎのいなかった王の後に、義兄弟だったハロルドはウエストミンスター寺院で戴冠し王を名乗りました。
同時に、同じ血縁を持つフランス・ノルマンディー地方のウィリアム公爵は、「エドワード王は、自分に王位を譲ると言った」と主張して5000-7000人の騎馬兵を率いてイングランドヘイスティングスへ到着します。 これがノルマン人の到来(襲来)です。
一方ハロルド率いるサクソン人の兵は、王の死を聞きつけてヨーク(イングランド北)にノルウェーからバイキング王が攻め入って来た軍隊を打ち破るStamford Bridgeの戦いが終わったその足で、そのままヘイスティングスへ向かい2週間後に到着、イングランドの王位をかけた激しい戦いが繰り広げられたのです。
(歩兵にて数日間を歩いて移動して到着、イングランド軍はかなり疲労していた状態でした。)
中世のこの時代としては、1日間も続いた戦いは、かなり珍しくいかにその戦力が互角で激しいものだったか物語ります。
そして、以下がそのバトルフィールド。コースが2コースあり、このバトルフィールドの向こう側をぐるっと歩くコースもありました。アビー修道院周りもオーディオガイド(英語のみ)を聞きながら歩いても1時間。きっとフィールドの向こう側を回るコースは2時間かと思われます。
この修道院(今は崩壊)は、勝利したウィリアム征服王が、ハロルドが亡くなった場所に僧侶の反対を押し切って、慰霊のために建てられたとか。(当時は水の供給元もなく、ただの平原だった環境が僧侶が反対した理由とか)
ハロルドが亡くなった場所に、祭壇が作られ、亡くなった数千人の兵の慰霊のために修道院が建てられました。
その様子は、フランスBayeux Tapestry(バイユータペストリー)に、刺繍としてお話が伝えられています。
このBayeuxタペストリーは、フランスの博物館に納められる70メートルに及ぶ、ウィリアムによるイングランドの征服の様子が刺繍画によって詳細に伝えられています。詳細を知りたい方は、こちらへ。
THIS STONE HAS BEEN SET IN THIS PLACE TO COMMEMORATE THE FUSION OF THE ENGLISH AND NORMAN PEOPLES WHICH RESULTED FROM THE GREAT BATTLE FOUGHT HERE IN 1066
「1066年にここで戦われたこの偉大な戦いにより、イングランド人とノルマン人が融合することになった記念にこの石が据えられました。」
この戦いにより、新しいイングランドという国とイングランド王室が形成されることになった、記念すべき戦いとなったのです。
さて電車に乗り2駅。海が見えるヘイスティングスの町に到着。散策することにしました。
駅周辺の、あまり美しくない雑多商店街をさっと抜け、このタイル張りされた「Old Town」の方へ抜けます。海沿いの町、漁師の町の象徴がタイルに表現されてますね。
トンネルを抜けると、そこは海側。大きな視界が開けます。イギリスの海沿いの町はなぜか遊園地が広がります。おそらくシーサイドは人々が余暇を過ごしに集まった昔のリゾート地として、遊園地が作られた昔の名残なのでしょう。
そこを抜けると可愛い雑貨屋、アンテイーク屋、カフェが広がるうねった小道が歴史を感じさせる通りへ、友人が紹介してくれました。地元の歴史家から彼女が聞いた昔のSmugglers(ならず者?)たちが集まったというパブもあります。
右の建物は、いつも地元の人でいっぱいの、予約が取れないフィッシュ&チップスのレストラン。
その向こうに見えるのは、高台へ上がれるトロッコのようなロープウェイ?があります。
今回行かなかったけれど、次回は行きたい。
下は、アンティークもある通りで見つけたドライフラワー、ハーブ専門店 S.Forrest 。世界から輸入した乾燥した植物を売っています。かなり面白いので、覗いてみて。17 George Street, Hastingsにあります。